修正:賭け麻雀

先日、初心者のための麻雀講座で公開した津田弁護士とのインタビュー企画ですが、ちょうどネットでは和田アキ子さん賭け麻雀どうこうの話題があったので、セット麻雀について追加質問をして公開しています。せっかくの機会なんで、最新版を見て行ってください。

賭けマージャンはいくらから捕まるのか?津田岳宏インタビュー

ツイッターでtheinterviewsみたいなものが流行っているけど、今回のインタビューはインタビューのようで6:4か7:3ぐらいで、自分の書きたいことや自分のフィールドで私が話をしようとしている。きっと、インタビュアーが違えば、また違った内容になるのではないかと思う。

賭け麻雀については、私は賛成というか、常識的なレートならば賭けたい。ノーレートで打つことが不可能ではないけど、勝てば何かを得れて負ければ何かを失う、という事実がやっているゲームと連動していることが「面白さ」につながっているだろうと思う。それが小額のレート、お金であってもいいしゲームのポイントだってかまわない。ノーレートの麻雀は、終わってみたら時間のみを失うといったように捉えてしまいがちで、そこに何か得られるのかといえば少し疑問だ。

賭けない麻雀、健康麻雀的なものの主張がどのようなものか、詳細は知らない。麻雀の発展のためにそういうムーブメントがあってもいいと思うし、麻雀はギャンブルではないと言い切ってしまうことはかまわないけど、どっちかいえば、何か心から望む理想や実態に対して臭いものに蓋をするような感じがしていた。

健康マージャン的なものに対して、歳をとってくれば価値観もかわるかもしれない。 福地さんが教育格差絶望社会のあとがきに年代によって望むものが変わっていくような話を書いていた。60歳、70歳になると、お金や恋人や賭け事のスリルみたいなものから解放されて、健康や趣味、生きがい、雑談をしながら卓を囲むことそのものが純粋に楽しいと思えるようになるのかもしれない。

例えば20代でも好きな女の子をデートに誘って、それでたまたま麻雀を打つことになったら、別にレートが乗っていなくても、一緒に打てるだけでも楽しいもんじゃないだろうか。そういうのは何やっても楽しいし、公園で鬼ごっこをやっても楽しいだろう。年齢を重ねると、そういう感情を全員対して抱けるようになって、趣味を共にすることを純粋に面白いと思うのかもしれない。仮にそうだったとしても、今の私にはわからない。わからない以上は、賛同もしにくい。それが麻雀の発展のためだと言われても、自分の望むものを押し殺してまで麻雀が発展することを別に望んでもいない。

・おとなしさんが、がんばったこと (自画自賛)

福地さんが「アカギ 入門の闘牌の裏話」を書いていた時に、こんな文章があった。

「説明を書いてて、この神経質な決まりは異常だと思ったので、「鷲巣様の磐石の人生は、万全の上にも万全の保険をかけて築き上げたもの。フリテンもそれと同じ」ってな鈴木のセリフをつけた。まあ、そんなところに気づく人もいないだろうけどね。作る側ってのは、そんなことを意識したりするもんだ。」

そうなのか、と思って読んでいたんだけど、今回のインタビューでレートと点数を連動させた一覧表を作った。インタビューの中にも登場している。

そこの左端に「ノーレート」で「0」っていう欄があるんだけど、これを入れれた私の判断力を自分でなんか褒めてあげたくなった。ノーレートで0になるのは当たり前なんだけど、そのことが書ける人は、きっと少ないんじゃないかと思った。 初心者向けに内容を作るってことは、そういうことなんだろうし、自分の感覚が初心者とどんどん乖離していくのを留める作業のような気がする。

福地さんの文章を読んでも「そうなのか」ってピンとこなかったように、私の書いていることもなんか伝わりにくいかもしれないけど、この表記ができたことがすごい嬉しかったのでした。

Responses are currently closed, but you can trackback from your own site.
Powered by WordPress | Designed by: Download Premium WordPress Themes | Thanks to Compare Best WordPress Themes, best wordpress themes and Free WordPress Themes